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国際的に認められている:ペンシルベニア州フィラデルフィアでの伝統的なイギリス様式のアフタヌーンティー

イングランド料理は、イングランドに関連する調理法、伝統、レシピを包括するものである。イングランド料理には独自の特徴があるが、広範なイギリス料理と非常に似ており、その一部は歴史的な理由によるものであり、また一部は大英帝国時代や第二次世界大戦後の移民の結果として、アメリカ大陸、中国、インドからの食材やアイデアの導入によるものである。

パンとチーズ、ロースト肉や煮込み肉、ミートパイゲームパイ、茹で野菜やブロス、淡水魚海水魚など、いくつかの伝統的な食事は古くからの起源を持つ。14世紀のイギリス料理本『フォーマ・オブ・キュリー』にはこれらのレシピが収録されており、リチャード2世の王室に由来する。

イギリス料理は中世以来、外国の食材や調理法の影響を受けてきた。カレーインド亜大陸から導入され、18世紀にハンナ・グラッセの鶏肉「カレー」のレシピでイギリスの味覚に合うように改良された。フランス料理ヴィクトリア朝時代を通じてイギリスのレシピに影響を与えた。第二次世界大戦配給後、エリザベス・デイヴィッドの1950年の『地中海の食卓』は大きな影響を与え、イタリア料理をイギリスの家庭にもたらした。彼女の成功は、他の料理作家に中華料理タイ料理を含む他のスタイルを記述するよう促した。イングランドは世界中から料理のアイデアを吸収し続けている。

歴史

中世

フォーマ・オブ・キュリー」からのレシピ。1390年頃。湯通しした鳥肉にアーモンドと炒めたタマネギを添えた「drepee」、そしてカポンまたはキジシナモンショウガクローブデーツ松の実とともに煮込んだ甘いシチュー「mawmenee」のレシピで、白檀で色付けされている。

イギリス料理は、遅くともリチャード2世の治世である1390年頃の中世に書かれた『フォーマ・オブ・キュリー』の時代から、何世紀にもわたって発展してきた。この本には、想像力豊かで洗練されたレシピが掲載されており、スパイシーな甘酸っぱいソースはパンや大量の茹でて皮をむき、乾燥させて挽いたアーモンドでとろみをつけ、しばしばパイ生地に入れて供された。ジンジャーブレッドのような食品も記述されている。クラリッサ・ディクソン・ライトは自身の『イギリス料理の歴史』の中で、ハリウッド映画で描かれるような毎食大きなロースト肉の塊が出るようなものでは全くなかったと強調している。

むしろ、中世の料理はしばしばピューレのような食感を持ち、おそらく肉や魚の小さな断片を含んでいた。ベイネッケ写本のレシピの48%は、シチューやピュレに似た料理のものである。そのような料理は大きく3つのタイプに分けられる。ワイン、酢、スパイスをソースに入れ、パンでとろみをつけたやや酸味のあるもの。砂糖と酢を使った甘酸っぱいもの。そして、当時高価だった砂糖を使った甘いものである。ベイネッケ写本にあるそのような肉(魚でも作れた)のための甘いピュレ料理の例は、卵でとろみをつけた濃厚なサフラン黄色の「モートゥルー」である。

去勢鶏豚肉ヘッドチーズを取り、茹でてすりつぶす。それを出汁で抽出したアーモンドミルクで溶く。にかける。砂糖サフランを加える。沸騰したら、煮えたミルクの一部を火から下ろし、黄身でとろみがつくまで混ぜる。塊にならないようによくかき混ぜる。残りのミルクを加えて混ぜ合わせ、モルトルーとして供し、ショウガの粉を振りかける。

別の写本『ウティリス・コキナリオ』には、「pyany」(シャクヤクで飾った家禽料理)、「hyppee」(ローズヒップのスープ)などの料理や、ウミウヤマシギなどの鳥が記載されている。

16世紀

近世には、印刷された料理本が徐々に登場するようになった。ただし、最初のものは印刷業者リチャード・ピンソンによる1500年の『料理書』で、中世の文献をまとめたものだった。次の『A Proper Newe Booke of Cokerye』は1545年以降のある時期に出版された。『The Secretes of the Reverende Maister Alexis of Piermont』は1558年に出版され、アレッシオ・ピエモンテーゼによる菓子に関するイタリア語の原著のフランス語訳から翻訳された。世紀末にはタイトルの数が急速に増え、1585年のトーマス・ドーソンの『良き主婦の宝石』、1591年の「A. W.」による『Book of Cookrye』、1594年のジョン・パートリッジの『The Good Hous-wives Handmaide』などが含まれる。これらの本には2種類あった。貴族の女性を対象とした、いわゆる菓子作りと健康療法の秘密を集めたものと、下級貴族、聖職者、専門職の男性の妻など、より一般の出身の女性を対象とした、料理と家事の管理に関するアドバイスである。

トーマス・ドーソンの『良き主婦の宝石』は1585年に最初に出版された。

16世紀には、イギリスの味覚は少なくとも3つの点で進化した。第一に、レシピは甘酸っぱい味のバランスを重視するようになった。第二に、バターがソースの重要な材料となり、この傾向は後の世紀にも続いた。第三に、地元で栽培できたが中世にはほとんど使われていなかったハーブが、風味付けとしてスパイスに取って代わるようになった。A. W.の『Book of Cookrye』では、肉のシチューやソースのレシピの35%にハーブが含まれており、最も一般的なのはタイムである。一方で、それらの肉料理の76%は、依然として明らかに中世的な砂糖とドライフルーツの組み合わせを、一緒にまたは別々に使用していた。遠い国々からも新しい食材が届いていた。『The Good Huswifes Jewell』は、おなじみの中世のレシピとともに、サツマイモ(熱帯アメリカ原産)を紹介した。

1604年に編纂された(そして1986年に初めて出版された)『エリナー・フェティプレイスのレシピ帳』は、エリザベス朝の料理を詳しく伝えている。この本には、バターを塗ったパンなど様々な種類のパン、アップルフリッター、保存食やピクルス、そして100人分の祝いのケーキのレシピが掲載されている。新しい食材も登場する。羊肉の肩肉の調理法には、新しく入手可能になった柑橘類の使用が求められている。

羊肉の肩肉を半分ローストし、大きめのスライスに切って肉汁を取っておく。次に、赤ワインシナモン、砂糖、少量のクローブメース(叩いたもの)、そして薄く切り刻んだオレンジの皮を用意する。羊肉、肉汁、これらの材料を一緒に鍋に入れ、二つの皿の間で煮る。煮ている間にオレンジの果汁を絞り入れる。十分に煮えたら、最初に焼いておいた羊肉の骨を皿に盛り付け、レモンのスライスを羊肉の上に置いて供する。

パイは、テューダー朝時代から現在に至るまで、イギリス料理の重要な一部である。

パイは、食べ物としても見せ物としても重要であった。「シング・ア・ソング・オブ・シックスペンス」という童謡には、「24羽のクロウタドリ / パイの中に焼かれていた // パイが開けられた時、鳥たちは歌い始めた」という歌詞があるが、これは宴会で供される直前にパイの皮の下に生きた鳥を入れるという凝った趣向を指している。

17世紀

ロバート・メイ著『完璧な料理人』、1660年刊行

17世紀初頭のベストセラー料理本は、1615年に出版されたジャーヴェイス・マーカムの『The English Huswife』であった。彼のレシピは、亡くなった貴婦人のコレクションから来たものであり、エリザベス朝時代以前にまで遡るようである。こうして女性は料理本の著者と読者の両方になっていったが、1640年までにイングランドの女性の約10%しか読み書きができなかった。マーカムのレシピは中世のものとは明確に異なっている。彼の肉やミートパイのソースの4分の3は甘味と酸味の組み合わせを利用しており、彼はこう助言している。

だしが甘すぎるときはヴェルジュで鋭くし、酸っぱすぎるときは砂糖で甘くし、味がなく薄っぺらいときはオレンジとレモンで活気を与え、苦すぎるときはハーブとスパイスで美味しくする。

ロバート・メイの『完璧な料理人』は、彼が72歳だった1660年に出版された。この本には、大量のスープやシチューのレシピ、チョウザメのレシピ38種類、そして魚(チョウザメを含む)、肉(バタリアパイを含む)、甘い具材が様々に詰まった多数のパイが含まれていた。

ハンナ・ウーリーの『The Cooks Guide』(1664年)には、フランスの影響が明確に表れている。彼女のレシピは、貴族ではない読者が、手の込んだソースを使った流行のフランス料理を模倣できるように設計されている。彼女は、「クラレットワイン」とアンチョビの使用を、砂糖、ドライフルーツ、酢などのより伝統的な料理の材料と組み合わせた。

1699年、ジョン・エヴリンは『アセタリア: サラダに関する論考』を出版した。これはサラダに関する最初の本と考えられている。それはサラダの哲学的意義を探求し、自然の知識を通じて精神的な純粋さを取り戻せるという17世紀の信念を反映している。エヴリンと彼の同時代の人々は、アダムの知恵を啓蒙の模範と見なし、初期の菜食主義と細心な園芸に影響を与えた。

18世紀

ウィリアム・ホガースの絵画『一日の四つの時』より、トム・キングのコーヒーハウス、1738年

ジョン・ノットの『料理人と菓子職人の辞典』(1723年)は、まだ前例が少なかったにもかかわらず、レシピをエールからゼストまでアルファベット順に並べた。この本は、スープやサラダから肉や魚、様々な種類のペイストリー、菓子、そしてビール、サイダー、ワインの作り方に至るまで、あらゆるものを網羅していた。年間を通じて毎月の献立も掲載されている。

匿名の著者によって1767年に出版された『原始的な料理』の第2版は、予算に優しく、乳菜食の料理を推奨していたが、一部のレシピには肉が含まれていた。

ジェームズ・ウッドフォードの『田舎牧師の日記』は、18世紀のイングランドで比較的裕福な人々がどのような食べ物を食べていたかをよく示している。1781年6月8日、彼は近隣の人々を招いて夕食に次のような料理を提供した。

最初に茹でた鶏肉を2羽と、茹でた羊肉の足とケッパーとバッタープディング、次に焼いたアヒルを2羽とグリーンピース、アーティチョーク、タルトとブランマンジェ。食後には、アーモンドとレーズン、オレンジとイチゴ、マウンテンとポートワイン。エンドウ豆とイチゴは今年私が最初に摘んだものだ。私たちはとても楽しい一日を過ごした。

もう一人の田舎の聖職者であるギルバート・ホワイトは、『セルボーン博物誌』(1789年)の中で、イングランド南部の一般の田舎の人々による野菜の消費量の増加を記録している。これには、ジョージ3世の治世にアメリカ大陸からもたらされたジャガイモが加えられたばかりだと彼は述べている。

都市の青物市場は今や多くの人々を快適な状態に支え、庭師たちは富を得ている。すべてのまともな労働者も自分の庭を持ち、それが彼らの生計の半分を支えている。そして一般の農民は、小作人がベーコンと一緒に食べるための豆、エンドウ豆、青物などを豊富に供給している。

ハンナ・グラッセの『料理の技術を平易に』は、1747年の出版から1世紀にわたってベストセラーとなった料理本である。少なくとも40版を重ね、広く海賊版が出回った。

19世紀

ビートン夫人の家政書』(1861年)による、英国式プディングのあるべき姿

英国料理は、一連の普及書によって体系化され、中産階級に利用されるようになった。その著者たちは有名になった。最初の1冊はランドル夫人の『家庭料理の新体系』(1806年)で、1844年までに67版を重ね、英国とアメリカで数十万部を売り上げた。これに続き、エリザ・アクトンの『家庭のための現代料理』(1845年)が出版された。ビー・ウィルソンはこれを「私たちの言語で書かれた最高の料理本」と呼んだが、「現代」という言葉は19世紀的な意味でしかなかった。

アクトンの『家庭のための現代料理』からのレシピ例は、彼女の「マルメロのブランマンジェ(美味)」である。

1パイントのマルメロの調整済み果汁に、最高級の魚膠を1オンス溶かし、次に、粗く砕いた砂糖10オンスを加え、澄んだ火で20〜30分、またはスプーンから落ちる果汁がゼリー状になるまで一緒に混ぜる。慎重に浮きかすを取り除き、沸騰したゼリーを半分パイントの濃いクリームに徐々に注ぎ入れ、混ぜ合わせながら素早くかき混ぜる。非常に冷たくなるまでかき混ぜ、その後、ごく少量のごく純粋なサラダ油を隅々まで塗った型、またはより手軽に、冷たい水に浸した型に注ぎ入れる。

アクトンは、ヴィクトリア朝時代で最も有名な英国料理本であるイザベラ・ビートンの『ビートン夫人の家政書』(1861年)に取って代わられた。この本は1868年までに約200万部を売り上げた。アクトンの本が読み、楽しむための本であったのに対し、ビートンの本は、後の版で他の手によって大幅に書かれたものであったが、必要に応じて参照する指示とレシピのマニュアルであった。『ビートン夫人』はエリザベス・ラファルドやアクトンを含む著者から大幅に盗用されていた。アングロ・イタリア人の料理人チャールズ・エルメ・フランカテッリは、貴族、ロンドンのクラブ、そしてヴィクトリア女王を含む王室のために料理を作り、有名になった。彼の1846年の著書『現代の料理人』は1896年までに29版を重ね、フランス語の用語で詳しく記述された手の込んだ料理を普及させ、最大300人分の献立を提供した。

イングランドで人気のある主要な温かい飲み物のうち、紅茶コーヒーチョコレートの3つはヨーロッパ以外を起源とし、ヴィクトリア朝時代までにはすでに定番品となっていた。ブラガンザのキャサリンは、1660年頃にポルトガルの紅茶習慣をイングランドにもたらした。当初、その高価さから富裕層の消費に限られていたが、価格は徐々に下がり、19世紀までにはその使用は広まった。16世紀に導入されたコーヒーは、17世紀までには特にコーヒーハウスで人気を博し、最初のコーヒーハウスは1650年にオックスフォードに開店した。ホットチョコレートは、食品として使用されるはるか以前の17世紀までには人気の飲み物となっていた。チョコレートバーは、クエーカーが設立した英国の3つの企業、ジョゼフ・フライズ(1847年)、ロウントリーズ(1862年)、キャドバリー(1868年)によって開発され、販売された。

20世紀

マヨネーズサルタナレーズンカレー粉で作られたコロネーションチキン(1953年)

第一次世界大戦後、家庭では多くの新しい食品が手に入るようになり、ブランド食品はその利便性が宣伝された。カスタードやプディングを作る時間があった台所使用人は、瓶詰めのインスタント食品や、主婦が手早く混ぜられる粉末食品に取って代わられた。アメリカ式乾燥シリアルは、中産階級のポリッジやベーコンエッグ、貧困層のパンとマーガリンに取って代わり始めた。戦時中の輸送不足で選択肢は大幅に狭まったものの、1920年代には冷蔵庫や冷蔵船の助けを借りて、品質、包装、衛生状態が向上し、世界中から多くの種類の新しい果物が輸入されるようになった。シソンビー夫人のような1930年代の作家は、幅広い国のレシピを取り入れた。

1943年、家族の週ごとの配給であるベーコン、マーガリン、バター、砂糖、紅茶、ラードを支給している様子

配給制度は1940年に導入され、戦時中の封鎖による物資不足に対処した。バナナやチョコレートのような食品は手に入りにくくなり、一方、乾燥卵乾燥ポテト鯨肉スヌーク(南アフリカの魚)、缶詰の豚肉製品スパムといったなじみのない品目が国民の食卓に登場した。バター、砂糖、卵、小麦粉がすべて配給制となったため、パイやケーキのようなイギリス料理を伝統的なレシピで作るのは困難になった。代わりに、ニンジンなどの食品が多くの異なる料理に使われ、その自然な糖分はニンジンファッジのような斬新な料理に甘みを与えた。食生活は決して楽しいものではなかったが、逆説的に、配給制度は全体として、国民がかつてないほど、おそらくそれ以降も、健康であったことを意味した。食料省は、マーガレット・パッテンのような家庭経済専門家を雇用し、節約しながら料理する方法を実演させた。戦後、パッテンは最初のテレビ料理人の一人となり、170冊の著書を1700万部売り上げた。

エリザベス・デイヴィッドの1950年の『地中海の食卓』は、ラタトゥイユなどの料理でイギリス料理を根本的に変えた。

エリザベス・デイヴィッドは、1950年の著書『地中海の食卓』でイギリス料理を根本的に変えた。物資不足の時代に書かれたこの本は、「おそらくイギリス料理書の歴史上、最も感動的で示唆に富む一節」で始まっている。

自然の恵み、南の色彩と風味に満ちた地中海沿岸の料理は、伝統と鮮やかな即興性の融合である。ラテンの才能が台所の鍋から閃き出る。それはまた、誠実な料理であり、国際宮殿ホテルの偽りの高級料理とは異なる。

デイヴィッドの初期の5冊の著書はすべて半世紀後も増刷され続け、ナイジェル・スレータークラリッサ・ディクソン・ライトといった料理作家の間での彼女の評価は絶大な影響力を持つものだった。食の歴史家パニコス・パナイーは、これはデイヴィッドが意識的に外国の料理スタイルをイギリスの台所に持ち込んだからだと示唆している。彼女はこれを優れた文章と、彼女が書いた国々での生活と料理の実践経験をもって行った。彼女は意図的にレストラン料理の神話を打ち破り、代わりに地中海諸国の家庭料理を記述した。彼女の著書は、他の料理作家が外国のレシピを使用する道を開いた。デイヴィッド以降の有名シェフには、しばしば一時的な存在ではあったが、フィリップ・ハーベンファニー・クラドックグラハム・カー(「ギャロッピング・グルメ」)、ロバート・キャリアなどがいた。

イングランド料理

1953年、英国初の有名シェフであるフィリップ・ハーベンは『Traditional Dishes of Britain(英国の伝統料理)』を出版した。その章立ては、コーニッシュパイクランペットヨークシャープディングからショートブレッドランカシャーホットポットステーキ・アンド・キドニー・プディングウナギのゼリー寄せクロテッドクリームフィッシュ・アンド・チップスに至るまで、「英国食の典型的な定番」を単純に列挙していた。パナイーは、ハーベンが矛盾した根拠のない主張から始めており、英国が世界で最もまずい料理の評判があると言いながら、同国の料理人は技術的に比類なく、国民料理のレパートリーはどの国よりも多いと主張していると指摘した。

社会学者のボブ・アシュリーは2004年に、英国の人々が、イングリッシュブレックファスト、付け合わせ付きローストビーフ、スコーンと紅茶、フィッシュ・アンド・チップスといったものが国民食の中核であると同意するかもしれないが、いずれかの日に典型的なイングリッシュブレックファスト、ランチ、ディナーをすべて食べた人はほとんどおらず、多くの人はリストのどれも定期的に食べていないだろうと述べている。いずれにせよ、アシュリーは、国民食は時代とともに変化し、料理本には外国起源の料理が日常的に含まれていると指摘した。彼は、あるナショナル・トラストのカフェの店長が「外国料理は許されていません…ラザニアなどは作れません」と言いながら、実際にはカレーを提供していたと述べた。なぜなら「どうやらカレーはイギリス料理だから」である。アングロ・インド料理は、確かに18世紀以来、国民食の一部となってきたのである。

いくつかのイングランド料理は比較的新しく、その導入された世紀、そして時には年まで特定できる。例えばピカリリは18世紀にインドから導入され、1758年にレシピを記載したハンナ・グラッセによって記録されている。逆に、甘酸っぱい魚料理のように、現在も外国料理と見なされている料理やソースは、中世以来イギリスのレシピ本に載っている。その他の料理は、いわゆる「フル・イングリッシュ・ブレックファスト」のように、徐々に現在の形になったものである。この種の朝食は「ビートン夫人」の後の版にも記載されているが、多くのバリエーションの一つとしてである。例えば、彼女の「冬の1週間の家族の朝食」のリストでは、水曜日のものがかなり現代的に見える:「パン、マフィン、バター、豚肉のゼリー寄せ、グリルベーコン、ゆで卵」である。しかし、他の日の朝食には、ミンチ、羊肉のカツレツ、グリル腎臓、焼きにしんの塩漬け、冷たいジビエや鶏肉のハッシュなど、あまり現代的ではないものも含まれており、「夏の1週間の家族の朝食」の提案には、イワシのトースト、冷たい舌、ケジャリー、リソールなどが含まれ、「ゲストの朝食(秋)」には、冷たいキジ、ジビエパイ、プレスドビーフなどが含まれていた。

(13世紀)

File:Spotted Dick Wikimeet London 2005.jpg|デザートスポテッド・ディック(19世紀)とカスタード(ローマ時代、中世) File:99 ice cream 2.jpg|アイスクリームコーン(1846年) </gallery>

影響

シンプソンズ・グランド・ディヴァン・タヴァーンのメニュー、ロンドン、1921年。オードブル、チキン・マレンゴ、スパニッシュ・オリーブなど、外国の影響が見られる。

イギリス料理は、早くも13世紀から、そしてソーセージのような一部の食品ではローマ時代から、国外からの影響を受け続けてきたことが明確に示されている。ジョン王の娘であるレスター伯爵夫人は大量のシナモンを購入し、エドワード1世は当時高価な輸入品であった砂糖だけでなく、コショウやショウガといった大量の香辛料を注文した。ディクソン・ライトは、香辛料が悪くなった肉の味を隠すために使われたという通説に反論し、それは「当時も今も致命的であっただろう」と指摘している。彼女は代わりに、香辛料が冷蔵庫がない時代に食品を保存するために使われた塩の味を隠すために使われたと示唆している。

クラドックは「イギリスには料理というものがなかった。ヨークシャープディングでさえブルゴーニュから来たものだ」と主張した。しかし、「ドリッピングプディング」のレシピは1737年の『The Whole Duty of a Woman』という本に掲載されていた。ニコラ・ハンブルは、『ビートン夫人の家政書』には、インドのレシピがウェールズ、スコットランド、アイルランドの合計と同じくらい多く載っていると述べた。パナイーは、フィッシュ・アンド・チップスが外国起源であるという証拠をもって主張し、論争を巻き起こした。揚げ魚はユダヤ料理から、ポテトチップスはフランスから来ており、この料理が国民的アイデンティティを示すようになったのは1930年頃からだという。フランス料理は19世紀を通じてイギリス料理に強い影響を与え、ルー兄弟やレイモン・ブランといったフランス人有名シェフは21世紀のイギリスでもその影響を与え続けている。

帝国の役割

ハンナ・グラッセの『料理の技術』(1748年)より、「インド風カレーの作り方」のレシピ

カレーは17世紀にイギリス人がインドに到着したことによって生まれた。リジー・コリンガムが書いているように、当初は茹でたりローストした肉の味気なさに「パンチ」を加えるための辛いソースであった。ハンナ・グラッセの『料理の技術』1748年版には、ディクソン・ライトが「有名なレシピ」と呼ぶ「インド風カレーの作り方」が掲載されている。これは、バターで炒めた玉ねぎで鶏肉に風味をつけ、鶏肉をターメリック、ショウガ、挽いたコショウで炒め、クリームとレモン汁を加えた自家製のストックで煮込むというものである。ディクソン・ライトは、このレシピは期待されるスパイスがほとんど入っていないため「少し懐疑的」であったが、「非常に美味しく興味深い味」に「嬉しい驚きを感じた」とコメントしている。

インド料理をイギリス風に改変するプロセスは何世紀にもわたって続いた。アングロ・インド料理は、例えば豚肉や牛肉を使用するなど、インドの食事規則を完全に無視することができた。「ベーコン入りレバーカレー」のような一部の料理は、単にカレー粉などの材料でスパイシーに味付けされた普通のレシピであった。ケジャリーのような他のケースでは、インド料理がイギリス人の好みに合わせて改変された。キチャリは元々、レンズ豆と米のシンプルな料理であった。カレーはエリザ・アクトンの『家庭のための現代料理』(1845年)など、ほとんどすべてのヴィクトリア朝時代の料理本で受け入れられていた。彼女は、インド料理とヨーロッパ料理を標準的なイギリス料理に融合させた、スイートブレッドのカレーやマカロニのカレーのレシピを提供した。1895年までには、貧困層向けの『Dainty Dishes for Slender Incomes』にもカレーが掲載されていた。

外国の影響は、特定の料理に限定されるものでは決してなかった。ジェームズ・ウォルヴィンは、その著書『Fruits of Empire』の中で、ジャガイモ、砂糖(1900年頃まではテンサイの栽培が始まるまで完全に輸入されていた)、紅茶コーヒー、そして増え続ける量のスパイスが、「帝国の果実」として1660年から1800年の間にイギリスに定着し、19世紀までには「その異国的な起源は時間の霧の中に失われた」と主張している。

インド料理とアングロ・インド料理

ケジャリー、1790年、19世紀に人気の朝食料理となる。

イギリス領インド帝国時代、イギリスは初めてインド料理を取り入れ始め、ケジャリー(1790年)やムリガトーニ・スープ(1791年)のような料理でアングロ・インド料理を生み出した。インド料理は1809年からコーヒーハウスで提供され、当時の料理本が証明するように、同時期から家庭でも調理された。ロンドンのリージェント・ストリートにあるヴィーラスワミーレストランは1926年に開業し、当初はアングロ・インド料理を提供していたが、イギリスで現存する最古のインド料理レストランである。1940年代に、そして再び1970年代に、カレーハウスの数が急増した。

チキンティッカマサラ、1970年代、インドのチキンティッカを改変したもので、現在では広く「真のイギリス国民料理」と見なされている。

ポストコロニアル時代のアングロ・インド料理であるチキンティッカマサラは、1970年代初頭にグラスゴーで考案されたようで、一方、バルティ料理は1977年にバーミンガムでイギリスに導入された。2003年時点で、イギリスには約9,000軒のインド料理レストランがあった。イギリスのインド料理レストランの大部分は、バングラデシュ人(しばしばシレット人)やパキスタン人の起業家によって経営されている。イギリス食品基準庁によると、イギリスのインド料理産業は2003年に32億ポンドの価値があり、外食全体の3分の2を占め、毎週約250万人のイギリス人顧客にサービスを提供していた。

インド料理レストランでは、客が基本的な食材(鶏肉、エビ、または「肉」(羊肉またはマトン))とカレーソース(マイルドなコルマから激辛のファルまで)を、その組み合わせの信憑性を気にすることなく自由に組み合わせることができるのが一般的である。風味と辛さの基準点はマドラスカレーソースである(この名前は、レストラン経営者がスパイスを入手したインドの地域を表すものであり、実際の料理ではない)。他のソースは、基本的なカレーソースのバリエーションである場合がある。例えば、ヴィンダルーは、ワインビネガーニンニクでマリネした豚肉のゴアのポルトガル料理「carne de vinha d'alhos」に基づいたルソ・インド料理というよりも、チリをさらに加えたマドラスソースの激辛の羊肉または鶏肉料理として提供されることが多い。

イギリスのインド料理レストランとその料理は、紋切り型のフロック壁紙と標準化されたメニューから徐々に改善されていった。先駆者の一つは、1982年にロンドンのグロスター・ロードにオープンしたボンベイ・ブラッセリーで、実際にインドで食べられているような料理を提供していた。菜食主義のインド料理レストランは、1980年代にロンドン、ユーストンのドラモンド・ストリート地区にオープンした。1990年にはチェルシーにチャツネ・メアリーが続いた。2001年には、ロンドンのインド料理レストラン2軒、タマリンド(1995年開店)とザイカ(1999年開店)が、その料理の質でミシュランの星を獲得した。

インド料理は、イギリスで最も人気のある伝統料理の代替であり、次いで中華料理イタリア料理が続く。2015年までに、チキンティッカマサラはイギリスで最も人気のある料理の一つとなった。

東南アジア料理と東アジア料理

イギリスのチャイナタウン、ここではバーミンガム

東南アジア料理と東アジア料理は、イングランド全土で広く利用できるようになった。イギリス中華料理は1970年代までにイングランドで確立され、大都市にはしばしばチャイナタウン地区ができた。ロンドンのソーホーにあるチャイナタウンは、ライムハウスにあった非公式な地域に続いて、両世界大戦の間に発展した。広東料理に由来する中華レストランの料理は、イギリス人の好みに合わせて改変されてきた。1980年頃から、東南アジア料理、特にタイ料理ベトナム料理がイングランドで人気を集め始めた。

ヨーロッパ料理

イタリア料理は、イングランドで最も人気のある地中海料理である。現在の形はエリザベス・デイヴィッドに触発され、その台頭は1945年以降に始まった。第二次世界大戦前にもイタリア料理レストランはいくつかあったが、それらは主に一般的な高級料理を提供していた。戦後すぐにイタリアンコーヒーバーが現れ、初めてイタリアらしさを売りにした。彼らはすぐにミネストローネスープ、スパゲッティピザのようなシンプルで安価なイタリア料理を売り始めた。1960年代初頭からは、もう少し上品なトラットリアレストランが、ラザニア・ヴェルディ・アル・フォルノ(ほうれん草で色付けした焼きラザニア)のような「イタリア料理のスペシャリティ」を提供するようになった。他の地中海の影響としては、ギリシャムサカフェタチーズタラモサラタトルコドネルケバブシシケバブ中東フムスなどがある。

イングランドにおけるフランス料理は、一部の安価なフランスのビストロを除けば、主に高価なレストランに限られている。 長年にわたり、18世紀のハンナ・グラッセや19世紀のアンドリュー・カーワンなど、イギリスの作家たちはフランス料理に対して相反する感情を抱いていた。しかし、フランスのオートキュイジーヌを提供するレストランは、1830年代からイギリスの上流階級や中流階級向けに発展し、エスコフィエは1890年にサヴォイ・ホテルに採用された。マルセル・ブレスタンの1923年の著書『Simple French Cooking for English Homes(イギリスの家庭のためのシンプルなフランス料理)』は、フランス料理を普及させるのに大きく貢献した。

飲食施設

カフェとティーショップ

ボスキャッスルでのクリームティー紅茶スコーンクロテッドクリームジャムを添えたもの

The English cafe is a small, inexpensive eating place. A working men's cafe serves mainly fried or grilled food, such as fried eggs, bacon, bangers and mashblack pudding, bubble and squeak, burgers, sausages, mushrooms and chips. These may be accompanied by baked beans, cooked tomatoes, and fried bread. These are referred to as "breakfast" even if they are available all day. Traditional cafes have declined with the rise of fast-food chains, but remain numerous all over the UK.

A tea shop is a small restaurant that serves soft drinks and light meals, often in a sedate atmosphere. Customers may eat a cream tea in Cornish or Devonshire style, served from a china set, and a scone with jam and clotted cream.

Fish and chip shops

Fish and chips is a hot dish consisting of battered fish, commonly Atlantic cod or haddock, and chips. It is a common take-away food.

Western Sephardic Jews settling in England from the 16th century would have prepared fried fish like pescado frito, coated in flour and fried in oil. Chips appeared in the Victorian era; Dickens's 1859 A Tale of Two Cities mentions "husky chips of potatoes, fried with some reluctant drops of oil". Panayi states that fish and chip shops in the 1920s were often run by Jews or Italians. Despite this, the new dish was popularly attributed to France; The Times recorded that "potatoes chipped and fried in the French manner were introduced in Lancashire with great success about 1871." The Fish Trades Gazette of 29 July 1922 stated that "Later there was introduced into this country the frying and purveying of chip potatoes from France ... which had made the fried fish trade what it is today."

Pub food

Pub grub – a pie, along with a pint

The public house, or pub, is a famous English institution. In the mid-20th century, pubs were drinking establishments with little emphasis on the serving of food, other than "bar snacks", such as pork scratchings, pickled eggs, salted crisps, and peanuts, which helped to increase beer sales. If a pub served meals these were usually basic cold dishes such as a ploughman's lunch, invented in the 1950s.

In the 1950s some British pubs started to offer "a pie and a pint", with hot individual steak and ale pies made on the premises by the landlord or his wife. In the 1960s this was developed into the then-fashionable "chicken in a basket", a portion of roast chicken with chips, served on a napkin, in a wicker basket, by the Mill pub at Withington. Quality dropped but variety increased with the introduction of microwave ovens and freezer food. "Pub grub" expanded to include British food items such as steak and kidney pudding, shepherd's pie, fish and chips, bangers and mash, Sunday roast, and pasties. The gastropub movement of the 21st century, on the other hand, has sought to serve restaurant-quality food, cooked to order from fresh ingredients, in a pub setting; one pub, The Hand & Flowers in Marlow has been awarded two Michelin stars, and several have one star.

Vegetarianism

Modern Western vegetarianism was founded in the United Kingdom in 1847 with the world's first Vegetarian Society. It has increased markedly since the end of World War II, when there were around 100,000 vegetarians in the country. By 2003 there were between 3 and 4 million vegetarians in the UK, one of the highest percentages in the Western world, while around 7 million people claim to eat no red meat. By 2015, 11 of 22 restaurant chains studied by the Vegan Society had at least one vegan main course on their menu, though only 6 of these explicitly labelled them as vegan dishes. Top-end vegetarian restaurants remain relatively few, though they are increasing rapidly: there were some 20 in Britain in 2007, rising to 30 in 2010.

Quality

William Hogarth's O the Roast Beef of Old England (The Gate of Calais), 1748

English cuisine in the twentieth century suffered from a poor international reputation. Keith Arscott of Chawton House Library comments that "at one time people didn't think the English knew how to cook and yet these [eighteenth and nineteenth century] female writers were at the forefront of modern-day cooking." English food was popularly supposed to be bland, but English cuisine has made extensive use of spices since the Middle Ages; introduced curry to Europe; and makes use of strong flavourings such as English mustard. It was similarly reputed to be dull, like roast beef: but that dish was highly prized both in Britain and abroad, and few people could afford it; the "Roast Beef of Old England" lauded by William Hogarth in his 1748 painting celebrated the high quality of English cattle, which the French at the "Gate of Calais" (the other name of his painting) could only look at with envy. The years of wartime shortages and rationing certainly did impair the variety and flavour of English food during the twentieth century, but the nation's cooking recovered from this with increasing prosperity and the availability of new ingredients from soon after the Second World War.

In 2005, 600 food critics writing for the British Restaurant magazine named 14 British restaurants among the 50 best restaurants in the world, the number one being The Fat Duck in Bray, Berkshire, led by its chef Heston Blumenthal. The quality of London's best restaurants has made the city a leading centre of international cuisine.

Meanwhile, the list of United Kingdom food and drink products with protected status (PDO) under European Union law has increased rapidly, with 59 items including Cornish sardines, Yorkshire Wensleydale cheese and Yorkshire forced rhubarb, Fenland celery, West Country lamb and beef and traditional Cumberland sausage listed as registered in 2015, and a further 13 including Birmingham Balti listed as applied for. By 2016 there were 12 cheeses from England with PDO status.

関連項目

参考資料

  • Ayrton, Elisabeth (1974) The Cookery of England: being a collection of recipes for traditional dishes of all kinds from the fifteenth century to the present day, with notes on their social and culinary background. André Deutsch.
  • Ayrton, Elisabeth (1980) English Provincial Cooking. Mitchell Beazley.
  • Drummond, Jack C.; Wilbraham, Anne (1994 [1939]) The Englishman's Food: Five Centuries of British Diet. Pimlico. ISBN 978-0-712-65025-0.
  • Fitzpatrick, Joan (2013) Food in Shakespeare: early modern dietaries and the plays Ashgate.
  • Foy, Karen. (2014) Life in the Victorian Kitchen: Culinary Secrets and Servants' Stories. Pen and Sword.
  • Grigson, Jane (1974) English Food. Macmillan.
  • Woolgar, C. M. (2016) The Culture of Food in England, 1200–1500. Yale University Press.

外部リンク