Translations:Thiamine/43/ja
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1884年、大日本帝国海軍の外科医総長であった高木兼寛は、脚気についてそれまでの細菌説を否定し、代わりにこの病気は食生活の不備によるものであることを示唆した。彼は、海軍の船上で食事を変えたところ、白米だけの食事を、大麦、肉、牛乳、パン、野菜も含む食事に置き換えることで、9ヶ月の航海で脚気がほとんどなくなることを発見した。しかし、高木は成功した食事に多くの食品を加えており、当時はビタミンが未知であったため、タンパク質の摂取量が増えたから効果があったという誤った解釈をしていた。海軍はこのような高価な食事改善プログラムの必要性に納得せず、1904年から5年にかけての日露戦争でも、多くの兵士が脚気で死亡し続けた。1905年になってようやく、米ぬか(精白米によって取り除かれる)と大麦の糠から抗血管炎因子が発見され、高木の実験は報われた。彼は日本の貴族制度で男爵となり、親しみを込めて「麦男爵」と呼ばれるようになった。