その後数年間、アランゴは博物館の創設に向けて努力を続けた。銀行は非営利と見なす事業への融資を拒否し、財政的支援が得られなかった。また、コロンビアの他の3つの県の代表者からは、博物館を自県に建設するようロビー活動を受け、キンディオ県内の他の町からも、アランゴが計画地としてモンテネグロを選んだことに反対された。