始皇帝の秦代には、帝国は南へと拡大した。漢代までには、中国の様々な地域と料理は主要な運河によって結ばれ、様々な地方料理の複雑性が増した。食べ物は「気」、すなわちエネルギーを与えるものと見なされるだけでなく、陰陽を維持することにも関わるとされた。その背後にある哲学は『易経』と中国伝統医学に根ざしており、食べ物は色、香り、味、食感で判断され、良い食事は四気(「熱」、温、涼、「冷」)と五味(辛、甘、酸、苦、鹹)のバランスが取れていることが期待された。塩は古くから保存料として使用されたが、料理には醤油の形で加えられ、食卓では加えられなかった。