Translations:Thiamine/45/ja

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1910年、東京帝国大学の農芸化学者である鈴木梅太郎は米糠から水溶性のチアミン化合物を単離し、これをaberic acidと命名した(後にOrizaninと改名)。(後にOrizaninと改名した)彼はこの化合物が抗血圧因子であるだけでなく、ヒトの栄養学に必須であると説明したが、この発見は日本国外での評判を得ることができなかった。1911年、ポーランドの生化学者Casimir Funkが米ぬかから痒み止め物質(現代のチアミン)を単離し、それを(アミノ基を含むことから)「ビタミン」と呼んだ。しかし、ファンクはその化学構造を完全に解明したわけではなかった。オランダの化学者、Barend Coenraad Petrus Jansenと彼の最も親しい共同研究者であったWillem Frederik Donathは、1926年に活性物質の単離と結晶化に成功し、その構造は1934年にRobert Runnels Williamsによって決定された。チアミンは、ウィリアムズのチームによって、「チオ」(含硫の意)と「ビタミン」の合成語として命名された。「ビタミン」という用語は、ファンクによって間接的にチアミン自体のアミン基から来ている(しかし、この頃までに、ビタミンは必ずしもアミンであるとは限らないことが知られていた、例えばビタミンC)。チアミンも1936年にウィリアムズグループによって合成された。