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特許

1922年1月末、インスリンの「共同発見者」4人の間に緊張が高まり、コリップは一時、彼の精製プロセスを個別に特許にすると脅した。そこで、非商業的な公衆衛生機関コノート研究所の所長であるジョン・G・フィッツジェラルドが仲立ちに入った。その結果、1922年1月25日の合意では2つの重要な条件が定められた: 1)共同研究者たちは、コンノートとの最初の共同研究期間中、営利目的の製薬会社との間で特許を取らないことに同意する契約を結ぶこと、2)フィッツジェラルドと4人の共同研究者たちの間で最初に話し合いがなされない限り、研究方針の変更は許されないこと、である。これによって意見の対立を抑え、研究をコンノートの公的使命に結びつけることができた。